指導者たちの軌跡

夏の間の1ヶ月,企業の研究所にインターンに行った.
企業の研究所ってのは,大学の博士課程の学生の存在と同じくらい,わけがわからないところだと思うのだけれど,
僕の行ったところは,大学を卒業して,その上2年間修士の学生をして,修士論文を大学院に提出して修了した人の中でも,研究をしたいと思ってる人が入るような,そんなところだった.
普通のサラリーマンとは違うけど,かと言ってコミュニケーション能力が低い変人揃いかというとそんなこともなく,むしろ普通の人よりもコミュニケーション能力が高くないと仕事にならない気さえする,そんな人達が集まるところだったと思う.
このインターンのことはまた後日まとめるつもり.


インターン先では社員がメンターとして1人付いてくれて,彼が僕に指導をしながら,
僕が研究を進めていくという感じだった.


メンターに対して,進捗報告や進む方向を決めるために,毎日打ち合わせをしていたのだけれど,
指摘も痛いところをついてきて,最初はそのペースに追いついていくだけでしんどかった記憶がある.
自分は動作が遅いのだなと,体感してしまった.
最後の方になると,指摘もどんどん厳しくなり,普段の僕なら精神的に追い詰められるかなと思ったが,なんとか蛇行しながらも最後まで形にすることができたと思う.

頭の片隅に発声練習のエントリーの,
指導教員や先輩のお茶目/しょうもない点を早めに把握しよう - 発声練習
を覚えていたので良かったのではないかと思い返していて.
「所詮,指導者も」とはあまり僕は考えなかったけれど,それでもメンターは普段の生活から自分の学生時代や入社当時の「できなかった自分」の話をしてくれて,その話が安全弁の役割をしてくれたのではないかなと思っている.「君たちは普通に○○(専門用語)のことを知っているだろうけれど,僕は入社するまで知らなかったんだよ」というふうに車の中で話してくれたことを思い出す.


思い返せば,僕の今所属する研究室の先生も,かなりWebで日記を書いていると思うのだけれど,
学生時代の日記を読み返せることで,「なんだ,こんなことも知らなかったのか」と思えるのは,
いいことだと思う.*1


いや,昔の精一杯の努力があって,今でも精一杯の努力をWeb上の日記で見ることができるから,
素直に,尊敬できる存在になるのだろうなと思う.

*1:具体的な事例はまだ当たっていないが