交わらなくなること

最近Facebookを以前よりも利用していて,
それは,大学院の同期の様子を知ったりするツールではあったのだけれど,
最近,中学時代の友人たちとのコネクションがまた復活している.

Facebookの仕様として,学歴を入力できるのは高校からなので,
同じ中学校では推薦されず,かつては出てくるのは同一市内の他の世代の人たちばかりであった.

同級生のことを考えてみても,インターネットに一番興味があったのは僕だったと思うので,
みんなSNSなんてやってないんだろうななんて思っていたのだけれど,
意外と最近ポツポツとやり始めているらしく,徐々にネットワークが形成されることとなった.


僕は決して模範的な生徒ではなかったので,同級生からの評判は今でも良くないのだろうけれど,
それでもかつての同級生から友人として招待が来たり,承認されたときはくすぐったくなるような気持ちになる.


しかし,彼らとなにかメッセージを交換するかというとそうでもなくて,
数年間のブランクはインターネットでは埋めることは難しく,できて「いいね!」をつけるくらいで,
その他のポストに対しては,お互いがスルーをするという感じになっている.*1
これは,お互いが共通の話題を持っていない上に,全く別の世界の話を投稿しているわけだから,どうしようもないのだろうなと思いながら,かつての喧嘩相手の彼や好感を持ってた彼女の投稿を,容姿の変化と共に*2,眺めている.


自分が何か行き詰まった時に,年をとって帰るところは,中学時代の友人なのよと,昔母に言われてそんなものかなと思った,今,確かに彼ら彼女らに話を聞いてもらいたい,また話を聞きたい気持ちもあるが,それでは実際に話してみても「通じなさ」感じて後悔するだけだろうから,積極的にインターネットで交流するのが恐ろしい.

既に,彼ら彼女らには生活があって*3,それぞれの土地で暮らしている.昔を懐かしむにはまだこの歳は早いのだろうし,まだまだここから知りあうべき人たちがたくさんいるのだから,かつての人たちは大切にしたいが,それよりも自分の将来に投資したいなと思う気持ちが大きいのだ.


しかし,あまりにも連絡がなさすぎる.普通ならば何かしらメッセージでも送ってくるだろう.つまりはあれか,僕の見えないところで非公開グループでも作って楽しくやっているのだろうか.まぁそれでもいいか,僕はこれまでも人間の輪の中心になったことはないし,これからもきっと人間の輪の中心にはならないのだろう.そして,その輪に入ることすら招待されない側なのだろう.情報系の人間だからといって,機能を一番使いこなす立場ではないのは皮肉なものだなと思い,また自身の成長のなさを嘆いている.

*1:実際に会うと世間話でもするのだろうが,インターネットで世間話はなかなか勇気がいるらしい

*2:話には聞いていたが,女性の変貌ぶりには凄まじいものがあり(プリクラ補正を外してもだ),またかつての黒髪少年がストリート系になっているのもまた時代の流れを感じる

*3:どうも学生をしている方が少数らしい