別れを可視化する

きっと,どこかで誰かが考えたことがある話題だとは思うのだけれど.


出会いを可視化するため,繋がりを強くするためのツールとしてfacebookなどのSNSが流行っているのだろうなと,自分振り返りまた周りをみて思う.
また,はてなも,はてなブログの読者通知やスターの通知をはてなメッセージというサービスで提供してくれる.
facebookでは,知らない人のユーザページに行くと,「あなたのお友達のAさんのお友達です」なんて表示をしてくれる.
また,誰かが撮った写真に人名のタグを付けることができ,僕の友達のAさんと,僕の知らないBさんが一緒に写ってる写真などがウォールに流れてくる.
はてなは「◯◯と友達になりました」や「◯◯さんが読者になりました」なんて通知をしてくれる.
今までは考えても頭の中止まり,言語化しても口から先だけの「繋がり」がウェブによって可視化されていく.


僕らは日常生活では別れも同様に体験していて,
それは,良い別れもあれば,悪い別れもある.
良い別れといえば,例えば卒業なんてその筆頭だろうし,
悪い別れといえば,まぁ喧嘩だとか,恋愛における別れもまぁあまり良い別れとは言えないだろう.

良い別れをfacebook写像するならば,そのまま交友関係は続くだろうが,
悪い別れの場合は多分,友達を削除ボタンを押すのだろう.
お互いの間にあったウォールでの投稿や写真はどうなってしまうのだろうか.
恋人の写真を撮って,もし関係が終わった時,みんなはこれからどうして行くのだろうか.
写真を削除するだけに留めるのか,交際ステータスをそっと書き換えるのか,元恋人である友達を削除するのか,
たぶんそれが嫌だから僕の周りの人は交際ステータスを敢えて非表示にし,相手の情報も書かないのだろう.


現実世界であれば,繋がりの薄い関係は,実際に会わないことによりお互いの頭の中からも消えて行く.
撮った写真もメールも見返さなくなる.
もちろんウォールの投稿出現頻度は変更が可能である*1が,
そういうことを僕らはこれからも人手でやらなくてはならないのだろうか.それとも.


繋がりを可視化することは,きっとお金になるのだろうけど,繋がりのないことを可視化してもお金にはならなさそう.


今まで繋がりが薄かった人ともを繋げるツールを得た代わりに,簡単に切れない関係性を僕らは得てしまった気がする.
一日は短く,そして一人の人にさける時間もまた短い.300人に対して同様のテンションで接することは難しい.
この環境すら乗り越えていかなければならないのだろうか.


なんてことを,6年くらい連絡すらしていないかつての後輩のfacebookでの投稿をみて,考えた.